himatom

明治時代からの相撲が好きです。

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

番付発表

初場所番付発表。話題は貴景勝の綱取り、王鵬新十両ぐらいか。 白鵬鶴竜とも出場するのかどうか... 鶴竜は合同稽古でも相撲は取らず休場あるいは引退へ向けての芝居? 観客上限も5000人だそうだが、東京が日1000人間近で無観客もあり得るか。あるいは開き直…

合同稽古

初場所へ向けた合同稽古。感染数の急速な増加で危ぶまれたが何とか開催。 白鵬が前回同様健在を見せつけた。貴景勝は微妙、高安が15勝13敗で好調。 考えると大関昇進後好調場所も多くあったが、兄弟子稀勢の里と同様あと一歩のところで優勝を逃してきた。腰…

怒涛の一年  北の湖

昭和48~49年の北の湖の急上昇ぶりは凄かった。 平幕を上下していたが49年に入り覚醒。あっというまに横綱に。48年九州、骨折を押して皆勤し10勝挙げたのが後に響いたのだが。 48年名古屋 前頭4 8勝7敗 48年秋 小結 8勝7敗 48年九州 関脇 10勝5敗 49年初 関…

千代の富士の新入幕

昭和50年秋、千代の富士が新入幕。体重98キロで久しぶりの2ケタ体重力士。 2日目元大関大受に勝ち幕内初白星。大関陥落1年程でここまで番付を落とした大受も寂しいが… 15日間の星取。 8日目で4勝4敗だったが、後半6連敗。もともと気の強さで持っていたような…

相撲協会の組織 2

おまけだが昭和三三年、年寄行司の定年制決定の際に、参与制度も新設された。 理事や検査役を10期(10年)務めた年寄が資格者で階級としては主任の上で待遇は主任と同等で、現在の役員待遇のようなものか。 初めての任命は追手風(元大関清水川)でその後大…

相撲協会の組織

時津風理事長の最後の改革、昭和43年2月の機構改革だろう。 それまでは取締→理事→勝負検査役→木戸主任・桟敷主任といった程度。検査役は準幹部ともいわれたが万事が丼勘定の相撲協会、組織としては曖昧だった。理事にしても元横綱、大関、偶に巡業等で実績あ…

双葉山没後52年

12月16日で双葉山没後52年。現職理事長としてであった。 その年2月に機構改革で取締制廃止。生活指導部、指導普及部等の部を設置。今に続くものである。5月にも立ち合いについて熱っぽく指導していたが、体調が悪化。11月にはかなり痩せ、千秋楽の表彰式には…

GOTOトラベル停止で相撲は

GOTOトラベルがやっと一時停止。 1月11日までというと大相撲の2日目まで。 東京都内の感染者も1日600人越え、今週700以上も行く予想も。 又無観客の可能性も考えられるが、重症化を見れば中止もありか。他のスポーツと違い客より力士が感染した場合のリスク…

貴景勝の綱取りは妥当?

貴景勝の横綱取りが次場所の目玉か。(そもそも開催も不確定だが…) 初優勝は2年前の九州であった。思えばこの場所も上位スカスカ。 横綱 白鵬、鶴竜全休、。稀勢の里1勝もできず5日目より休場。 大関 豪栄道13日目より休場、高安12勝、栃ノ心8勝。 高安のみ…

年寄の定年制実施

同じサンデー毎日相撲号より。 昭和三六年一月付で六十五~七十八歳の九人の年寄が退職。ほとんどが大正時代から在籍で平均四十年前後か。七人に一言コメントが付いている。 伊勢ケ濱(清瀬川) 理詰めの取り口は名人 尾車(大戸平) スケールの大きい決め技…

呼出しの悲哀

サンデー毎日別冊昭和三五年十一月場所号より。 消えてゆく相撲文化財、小鉄・太郎と題して定年で土俵を去る呼出しと待遇の低さが紹介されている。 当時太郎が62年、小鉄が48年の土俵生活。今ではありえない長寿記録である。 結局再採用という形で2人とも残…

立浪部屋

立浪部屋で感染者。 茨城とはずれているので他の部屋への感染は低いか。豊昇龍も所属するが時期によっては出場もどうなる。 東京も1日600人越えでは相撲部屋でも当然のように出るかも。感染者発生→部屋封鎖→全力士出場停止では本場所開催でも大変か? 番付編…

柏鵬時代の夜明け前の相撲座談会 昭和三六年

読売大相撲昭和三六年二月号の総評座談会。 柏戸優勝の場所。彦山、天竜、東富士、奥村忠雄の4氏。相変わらず辛口。 彦山 点のつけようがないので0点にしようと思った。 天竜 (賞品の旅行について)すぐパリにいかなくちゃならんということはないでしょう。…

横綱予想

読売大相撲昭和三六年五月号「各界アンケート 柏 鵬はいつ横綱に」より。 57人の識者が予想しているが面白いことに両者とも秋場所後と予想したものがいない。 大方が柏戸が先で大鵬が数場所遅れる。入幕が1年少し違うのだから当然とも思えるが。 一番近いの…

横綱の晩年

男女ノ川といえば横綱時代通して不成績。横綱昇進自体32歳ですでに旬を過ぎていた。唯一双葉山の連勝ストップ→不振の昭和十四年春場所が11勝2敗。 その男女ノ川の昭和十五年夏場所 初日 青葉山 (前12) 2日目 大浪 (前10) 3日目 金湊 (前9) 4日目 楯甲 …

鶴竜の今後と一代年寄

日本国籍取得で年寄鶴竜(名跡はどうなる?)が現実味を帯びてきた。 しかし元横綱とは言え武蔵丸のような閑職で終わる可能性も。 横綱時代も現在まで白鵬の引き立て役。目立つ場面も少なく、進退問題もこれまで俎上にならないほど地味であった。 戦前の男女…

鶴竜 日本国籍取得

鶴竜がとうとう日本国籍を取得した。 これで引退もスムーズにいくか。一部では申請自体していないのではという予測もあった。モンゴル人の家族などにより審査が難航していたか。 しかし本名はマンガラジャラブ・アナンダのまま? カタカナは奇妙。琴欧洲は安…

変な横綱

横綱の地位、重みも落ちたと言われるが過去にも権威失墜時代があった。 明治十年代、相撲の宗家ともいわれる吉田司家の当主善門が西南戦争で降伏、収監。この間五条家が相撲の当主の座を目指し京都相撲の小野川才助、大阪相撲の八陣信蔵、高越山谷五郎に独断…

横綱の進退 3

白鵬、鶴竜の長期休場による「注意」処分後、鶴竜が初めて口を開いた。 「気にしないように目の前の相撲に集中してやることが大事。休場とか考えても仕方がない。マイナスになるだけ」 両者とも35歳と高齢。優勝を目指すとも言っているようだがこの12場所で8…

史上最弱の幕内力士?

幕内経験者で最も弱い力士は誰?必然的に新入幕で2勝、3勝で1場所限りの力士。1勝は15日制以後居なかった筈。番付削減を断行した昭和四二年夏以降で見ると 大真鶴がワースト。関取在位で見ると 牧本14場所、王湖9場所、大真鶴19場所、大喜鵬19場所である。 …

相撲界の生き字引 2

浪ノ音もだが元大関朝汐も生き字引だった。明治十二年生で昭和三六年没。梅常陸全盛時に幕内で大鵬柏戸まで見てるはず。大関時代は怪力で右を差せば五万石ともいわれたが、優勝はなかった。年寄高砂で取締まで行ったが昭和十六年前田山に譲り廃業。茨城に隠…

相撲界の生き字引

昭和三六年に年寄に定年制ができて9人の長老年寄が協会を去った。この中の最年長が元浪ノ音の振分。明治十五年生まれで当時七八歳。 明治三一年初土俵で、明治三九年の入幕、大正三年引退だから、当時六十数年の角界生活。明治四十四年のストライキ「新橋倶…

ロートル力士 2

昭和16年1月発行「野球界別冊 春場所相撲号」には15年夏場所の全力士星取表、16年1月の部屋別力士一覧表が。 戦前でもベテラン力士がいるものだ。 ざっと見ると幕下以下は三保ヶ関部屋の揖保川の39歳が最高齢か。 以下34歳が淀川(粂川)、三高野(三保ヶ関)、3…

ロートル力士

今年華吹が50歳で現役を迎え、少し話題に。初土俵以来34年の土俵。 明治42年の若木野(54歳?)、大綱(57歳)以来の事らしい。二人とも若者頭を兼務(というより現役兼務であるのが通例だったようだ)しての土俵、引退後若木野は翌年、大綱も明治44年に没してると…

栃木山は相撲を改革した

明治の梅常陸、その後の太刀山と続くが、太刀山引退後大錦・鳳・栃木山と混戦となり、その中で飛び抜けて一強となったのが栃木山である。 大正中期までは受けて取る相撲が最良とされ、四十五日の突っ張り太刀山でさえ晩年は受けて取る相撲を好んだ。年齢が進…

横綱の進退 2

栃木山の突然の引退は謎である。 当時の雑誌「野球界」には相撲記者の生駒翺翔(こうしょう)、三木愛花らによる批評が掲載。わずかながら引退の真意がのぞく。 要約すると、横綱で7年、土俵際の突き落としなどを多用すればあと数年は現役であろうが、相撲の…

横綱の進退 栃木山に見る

白鵬、鶴竜が休場続き、大関2人も昇進早々休場で番付の重み・価値まで議論されている。 27代横綱栃木山は大正十四年春10勝1引分の成績で優勝しながら翌場所番付に名を残し引退。64代曙の優勝→全休→引退もだが、これほど鮮やかな引退もない。 栃木山は明治25…