相撲批評クラブ ひげ庄之助

明治時代からの相撲が好きです。

栃木山は相撲を改革した

 明治の梅常陸、その後の太刀山と続くが、太刀山引退後大錦・鳳・栃木山と混戦となり、その中で飛び抜けて一強となったのが栃木山である。

 大正中期までは受けて取る相撲が最良とされ、四十五日の突っ張り太刀山でさえ晩年は受けて取る相撲を好んだ。年齢が進めば攻守といっても守の方が楽であろう。しかし栃木山は左筈押しを唯一・最大の得意手とし、攻一方の相撲であった。

 大正期までは引分預かりが力士成績に多いことが特徴でもあるが、栃木山は幕内では7分4預、殊に横綱時代は6分3預という少なさ。常陸山は22分、梅ヶ谷が47分2預なのを見ても圧倒的である。大錦もそうだが、それまでの双方の顔を立てる「お抱え相撲」を否定し、勝負を完全につける相撲という意味で近代相撲の開祖とも言われる。

 

 逆に言えばこの相撲スタイルにより限界を悟り、潔く土俵を退いたともいえるか。