himatom

明治時代からの相撲が好きです。

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

響龍死去

春場所13日目に頭から土俵に落下、半身不随状態で治療していた響龍が亡くなった。28歳。 師匠のコメントからも重症なのは伺えたが…本場所取組中の事故がもとで死亡に至ったのは明治以降は初だろう。 明治大正期は稽古中の怪我、巡業先で死亡が何例かあった。…

ベテラン力士

場所前琴勇輝が引退し平成生まれ初の年寄となったがまだまだ昭和の力士は健在。 関取の年齢順に 37歳 松鳳山 36歳 玉鷲 白鵬 35歳 隠岐の海 明瀬山 碧山 妙義龍といったところ。 体力が落ちたとはいえ老巧ぶりを発揮している力士も多い。明瀬山は全盛期か。 …

栃錦

昭和35夏栃錦が引退。前場所史上初の14連勝同士で若乃花と対戦し敗れてのことであった。 地味に35初の優勝は初土俵から21年で最長記録だったはず(のちに旭天鵬が20年、これも夏場所のこと)。 この頃はベテランが多かった。 番付に定員がなかったのもあるが…

千代の富士引退

ちょうど30年前平成3年夏、千代の富士引退。 4横綱2大関と豪華だったが、千代の富士は引退。北勝海大乃国と全休で形だけの番付。旭富士が小錦と争い綱の威厳を守った。 小錦は14連勝で走ったが千秋楽に旭富士に本割決定戦と連敗し賜杯を逃す。 後世からみれ…

夏場所

鶴竜引退で白鵬がまた一人横綱に。 2012年に日馬富士昇進で解消されたが、その後の鶴竜、稀勢の里と先んじて引退。後輩横綱に3人も引退されるのは千代の富士が惜しかったが初のこと。 照ノ富士が勢いに乗って横綱昇進なるか程度しか話題もない。 現大関陣は…

昔の高砂部屋

高砂部屋も朝赤龍が当主に。マネージャーの一の矢は元朝潮引退で退職ともいわれたが、そのままいるようだ。一ノ矢といえば現役時から朝青龍も頭が上がらなかったというが昔から番付を追い抜いても顎で使うようなロートル力士がいた。 石井代蔵「相撲風雲児列…

雷の最後 2

雷は大正4年夏引退し、大正5年春の番付で権太夫ではなく雷藤太郎と年寄欄に記載された。表面上は無役の年寄だったが、大正5年3月検査役の尾車(大関大戸平)が死去、浦風(平幕小松山)が健康上の理由で辞任し補欠選挙が行われ、雷と峰崎(木村銀治郎)が選…

雷(横綱2代梅ヶ谷)の最後

昭和2年9月雷権太夫取締が巡業先の新潟県与板町で心臓麻痺により急死。 協会の公式にはそうなっているが実は直前に雷は取締を辞職し平年寄だったとか。 正確に言えば辞職させられたというべきか。 雷は晩年苦境だった。部屋の不振、それに対して取締にとどま…

雷一門

相撲協会の主流は戦後出羽海→二所ノ関系→高砂系と続いているが江戸より長く名門だったのが玉垣・雷系である。明治時代の雷系の大黒柱だったのが初代・2代の梅ヶ谷。 初代は取締を長く務め、横綱として最長寿の83歳など恵まれたが、2代目は部屋も衰退、晩年に…

行司不作時代

立行司41代式守伊之助は千秋楽結びで土俵際で避けられず、頭から土俵下に転落。 2場所連続の千秋楽失態。 かつての29代伊之助も脳震盪のような状態で引き上げたことがあったはず。 控えの玉治郎が素早く勝ち名乗りを挙げ進行に支障はなかったが… 脳梗塞を患…

春場所終わる

昭和28年以来大阪で開催されてきた春場所。68年で初めての東京開催。 白鵬も結局「逃げて」しまい不安定な3大関が主軸となる土俵。予想通り照ノ富士が勝ち進み3大関を撃破。高安が一時単独トップに立つも3連敗で崩れ去りTELの優勝。大関昇進となった。 3大関…