雷(横綱2代梅ヶ谷)の最後
昭和2年9月雷権太夫取締が巡業先の新潟県与板町で心臓麻痺により急死。
協会の公式にはそうなっているが実は直前に雷は取締を辞職し平年寄だったとか。
正確に言えば辞職させられたというべきか。
雷は晩年苦境だった。部屋の不振、それに対して取締にとどまることによる反主流派(主に出羽海)からの突き上げ、先代の娘と離婚し新橋芸者を妻にするなど問題・不満が山積していた。
結果として一旦辞任を表明することで混乱を収拾しようとしたようだ。信任の意味もあったはず。
当然慰留されて留任することが前提で、留任運動もしていたという。一芝居打ったつもりだったのだろうが。
ところが事前の想定をくつがえし、役員会で全会一致で可決されてしまい雷は辞職となった。それどころか取締は相談役・別格年寄として処遇されることが通例であるにもかかわらずいち平年寄まで格下げされたとか。