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明治時代からの相撲が好きです。

2021-01-01から1年間の記事一覧

安念山

元関脇安念山(前立浪親方)が2月に亡くなっていた。存命なら87歳で元三役の長寿記録も迫っていたが… 栃若時代の昭和32夏に優勝。64年前で優勝から没までの最長記録だろう。引退後は理事を昭和45年から14期28年務めるなど昭和の相撲黄金期に力士・親方として…

粗暴な力士

12月15日は明治の大関大達、昭和の横綱玉錦と誕生日。さらに力道山の没日。 三人とも粗暴さで名を売ったのが共通。意外な因縁だった。大達は瀬戸物までバリバリ齧っていたというが力道山もガラスを噛み砕いていたとか。 さらにひげの伊之助、28代庄之助も同…

華吹もとうとう

鍋処ちゃんこ長華吹という求人広告が。 神戸で華吹がちゃんこ店をやるらしい。大の宝塚ファンから神戸に住むのだとか。今も現役だが数場所中にとうとう引退か?51歳、現役在位213場所、681勝という偉大な記録。一時引退の話もあったがとりやめになって現役続…

珍しい事

九州場所は照ノ富士優勝と予想通りではあったが珍しいこともあった。十両平戸海の不戦敗無し休場、十両vs幕下が4番も組まれたこと。 北の若(幕下3)-旭秀鵬(十両14) 琴裕将(幕下1)-矢後(十両10) 對馬洋(幕下2)-旭大星(十両9) 深井(幕下4)-…

照ノ富士最多勝

9日目で照ノ富士が年間最多勝を決める。実に7年ぶりの70勝以上。ここ数年は星の潰しあい、上位陣の不甲斐なさから低調だった。50勝台が続くのも異例。個性派力士を増やしても要となる力士がいなければ締まらないのだ。 照ノ富士の最多勝は1月より予想されて…

九州 続き

十両は大鵬孫の王鵬が好調で全勝。ようやく大器開眼か。これまで腰が高くそこを突かれる相撲も多かったが腰もしっかり降りている。得意は突き押しのようだがまだ四つと押しが半々のような相撲で自分の型が定まっていない印象。炎鵬は相撲を覚えられ4敗。じり…

九州場所

九州場所も9日目が終わったが何か興味が湧かない。戦前の予想通り照ノ富士が盤石で貴景勝も好調。謹慎から戻ってきた阿炎にベテランの玉鷲。気のせいか淡白な相撲が多い。 2年ぶりの九州で疲れもあるかあっさり決まる。さらに北の富士が言っていたように勝負…

昔の横綱

白鵬の暴走は問題だったが昔の横綱は親方以上の力があった。読売大相撲昭和47年5月号「その後の4庄之助」より。 「私は長い間玉錦関の番頭をやりましたが、玉錦は取締などを呼びつけたものですよ。昔の横綱は権威がありましたね。それも東富士さんまでですね…

九州場所の番付

九州の番付は定員42人の所41人。白鵬引退が編成会議後のことだったためだろう。横綱白鵬を急遽消去し年寄欄5番目に「間垣翔」。 番付面の不公平はままあり、昭和25夏は前場所前頭筆頭で8勝7敗(うち不戦勝2)の出羽錦が小結、前頭2枚目で9勝の神風が西筆頭。…

隆の里没後10年

11月7日で元鳴戸親方(横綱隆の里)が亡くなって10年。現役時代は中卒ながら理論派で経済の専門誌を読むインテリだった。弟子の指導にも生かされちゃんこにもこだわり強く稀勢の里は大きく育った。稀勢の里は没5年でようやく横綱となったが皆勤2場所で不本意…

50場所以上の対戦 1

昭和43年九州、三段目の西野と北の湖が対戦。西野が約2年先輩だが北の湖があっという間に番付を駆け上がり46夏新十両の時、西野はまだ幕下24枚目。48秋ようやく十両昇進するが十両でも一進一退。50九州魁輝の名で入幕、23歳だが10年の土俵人生。北の湖は優勝…

押し相撲

近年は押し相撲全盛。だが押しに徹しているというよりその方が楽だからという印象強い。事実勝負がつくのも早く進行時間も早い印象。体重増加で四つになっての攻防に耐える程肺活量、体力全般がないのだろう。昔の若乃花は朝から昼までぶっ通しで稽古をして…

怪しい金勘定

昔から相撲界は丼勘定の世界。細かいことを考えず湯水のように入った金を豪快に使ってこそ一流力士の条件だともいわれる。明治大正でも太刀山・大錦・男女ノ川あたりはコメのキレが悪かった(=金払いが悪い)と後世語られることも。栃木山も大正時代に200円…

昭和20年夏場所の映像?

相撲協会は昭和14年に協会映画部が設立され取組や協会の催事の撮影をしているはず。権利を全て持っていたのは開始時に尽力した伊勢寅彦(通称伊勢寅)。読売大相撲37年3月号の相撲の町あれやこれや「相撲映画の主伊勢寅さん」から引用。 「昭和20年の五月場…

玉の海 続き

玉の海の付け人だった力士は長寿力士が多い。玉輝山は幕内晩年に小結1場所限り(同時の双津竜も思い出小結)昭和五十九年33歳で引退だが中学入学直後の初土俵とあって20年の土俵歴。118場所と当時十傑に入る程の現役場所数であった。幕下止まりの蕨川、太擁…

不良力士2

白鵬の晩年の土俵態度は目に余ったが、日曜の引退特集「白鵬 孤独の14年」を見るに平25九州の稀勢の里戦での万歳三唱がきっかけか。客への不信感が爆発したのだろう。双葉山云々も全く聞かなくなった。 ともあれ明治~昭和には白鵬が可愛い程荒れ狂った力士…

若年寄ランキング

① 藤ノ川 豪人 26歳1か月 ② 若見山 幸平 26歳7か月 ③ 大受 久晃 27歳2か月 ④ 松前山 武士 27歳5か月 ⑤ 宇多川 勝太郎 27歳7か月 ⑥ 金剛 正裕 27歳8か月 ⑦ 千代櫻 輝夫 28歳1か月 ⑧ 栃富士 勝健 28歳3か月 ⑨ 開隆山 勘之丞 28歳7か月 大乃国 康 28歳9か月 北…

力士の寿命

① 天城山猪太夫 (東関)明治39年~平成9年 91歳1か月 ② 羽嶋山 昌乃武 (松ヶ根)大正11年~平成23年 89歳2か月 ③ 浪の音 健蔵 (振分)明治15年~昭和42年 85歳8か月 ④ 太刀若 峯五郎 (常盤山)明治36年~昭和63年 84歳10か月 ⑤ 鳴門海 一行 (竹縄) 大…

どこまで力士が減る?

2021年の新弟子検査合格者は秋場所までで56人。引退は80人。マイナス24人である。 協会はあまり危機感がないが入門者は年々減っている。特に10人以下の部屋が増え稽古もままならない状況が一番まずい。 読売大相撲48年10月号より一部抜粋 神風 指導者が相撲…

巡業はできる?

この2年近くコロナで巡業が中止状態。来年春巡業も中止決定で2年以上ゼロが確実である。それ以前は巡業の過密スケジュールから稽古不足・怪我につながってるのではとも言われていた。昭和33年までの一門別・部屋別の巡業の頃は稽古量も豊富だったが、大合併…

玉の海死去から50年

10月11日で横綱玉の海の現役死亡から50年。横綱昇進後も一番稽古量が多かったらしい。ファンを大事にしファンからの贈り物やレターもすべて保存してあった。責任感も強くそのあまり寿命を縮めてしまったのか。部屋のショックも大きく師匠片男波(元関脇荒法…

元十両の年寄

現在元十両の年寄は大嶽(大竜)1人だけ。昭和中期まではそこそこいたが年6場所制の影響もあってか減る一方。大竜の襲名までも平元年の友綱(一錦)から9年空いていた。大嶽の後平16年に金親が先々代宮城野(廣川)の二女と結婚し、例外規定により突然宮城野…

若年寄

定年制実施以降の最年少の年寄は昭和47年11月引退の藤ノ川だろう。26歳1か月。在職38年10か月の最長記録もある。今の力士に比較すれば白鵬が平23年、高安は平28年、正代が平29年といった具合。まだまだ伸び盛りの年齢で今なら考えられぬ。2位が吉王山の26歳8…

栃木山死去

白鵬が全勝優勝→引退と異例の展開となったがその先例がいた。大正14年の栃木山。その栃木山が62年前の10月3日67歳で死去した。大正14年春に10勝1分で優勝後、翌場所直前に引退。花のあるうちに引退、ハゲを気にしてともいわれるが、本人もその話題を後年にわ…

白鵬横綱大関戦238勝

白鵬が引退。17年の長きにわたり幕内を維持。優勝45回という数字は年3度の優勝を15年続けることになる。初優勝が15年前でありその翌場所も13勝、平19年に横綱となったが15年全盛期を保ったとみてもいいだろう。驚異的なのは横綱大関に対して238勝しているこ…

大関陣の体たらく

白鵬も正式引退が発表されず引退か否かも怪しくなっている。業績、問題行動はともかく横綱の引退が全然話題にならないのは寂しいもの。「小室~」や「嵐」、「総裁選」に話題が行ってしまう。優勝45回といえども知名度は全盛期の貴乃花の半分も行かないか。 …

昭和生まれ関取

白鵬36歳が引退。気づけば昭和生まれの関取も減った。平成生まれ関取が誕生したのは平成22九州の舛の山、高安。以来順調に増え平成23名古屋に高安が新入幕。千代の国が3人目の十両。 23秋に舛の山入幕、千代嵐、飛翔富士、琴勇輝が十両 23九州旭日松十両 24…

白鵬の引退

とうとう白鵬が引退。平16夏の入幕から17年。平19年より毎年最低2度は優勝を重ねV45、年3回の優勝を15年続ける計算になり、15年間全盛期を維持したという評価になる。年間最多勝10回、特に9年連続の受賞で前人未到であろう。横綱在位14年、36歳での全勝など…

5場所の成績

横綱大関といわれながら見合った成績を残してるのはわずか数力士だろう。 1場所の成績より2場所3場所で番付編成するのもありか。 横綱 白鵬 15勝0敗60休 (引退とか) 横綱 照ノ富士 62勝13敗 大関 貴景勝 33勝25敗17休 大関 正代 43勝32敗 関脇 朝の山 28勝…

横綱と対戦

横綱初挑戦の力士を調査。46年弱で琴ノ若まで224人が横綱と最低1回は対戦している。明治23年夏~昭和50年秋までは496人であり年6場所制も大きいが急増。そのうち勝利ゼロは76人と思われ、以外にも勝利経験ある力士が多い。横綱初顔が量産されたのは平成5年、…