昔の相撲年寄
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昔の大相撲の親方は平年寄で退職するのも多かった。今のように必ず部付きではなかった。
停年制実施以降でも勝ノ浦(五十嵐)、友綱(矢筈山)、山響(釈迦ヶ嶽)、音羽山(白岩)、中立(灘ノ花)、稲川(常陽山)、常盤山(太刀若)、雷(番神山)、山科(大平山)あたりは平年寄で終わったか。殆ど平でも振分(浪ノ音)、大嶽(土州山)、冨士ヶ根(若港)あたりは勝負検査役、清見潟(伊勢錦)、湊(大達)あたりは桟敷部長の経験が短期間あったはず。
かつては月給制ではなく生活の為平年寄は副業を営む場合が多かったとか。
今のように安泰なのとは大違い…