鳳の横綱昇進
横綱鳳は大正四年春後、横綱に昇進したがこれも時期尚早との声あり。
この場所の星取
横綱太刀山全休、梅ヶ谷途中休場、大関西ノ海、朝汐途中休場、伊勢ノ濱途中休場ありと上位は貧弱。皆勤は鳳のみと11月の貴景勝の事例に似る。
全勝とは言え、対戦相手の最高位は初日の関脇綾浪源逸、最低位は前11の小錦。前場所も3勝1敗で休場。
当時太刀山37歳、梅ヶ谷37歳、西ノ海35歳、朝汐36歳で鳳は28歳と若かった。
これより相撲協会は横綱を強硬に主張。吉田司家も反対したが期待できると押し切った。
翌場所新横綱、梅ヶ谷休場で引退、大関陣も出場の中2連勝2連敗(栃木山、大錦)で休場、早速批判の的に。
大正六年夏に9勝2敗以外は不調、休場が続き大正八年夏には3勝6敗と皆勤負け越し。横砂と揶揄。大正九年夏全休で引退、年寄宮城野に。
部屋経営、理事も務めたが昭和十九年頃より中風で千葉にこもり、昭和三一年70歳で没。
若嶋没後最古参、最年長だったが戦後にはほぼ忘れられた状態、還暦祝いの綱などもおそらくないだろう…
元大関朝汐も昭和三四年の取材で「悪いけど、あまり強い相撲取りじゃなかったな」と。