相撲批評クラブ ひげ庄之助

明治時代からの相撲が好きです。

国分け大相撲

1922年に大阪国技館で開催された東京相撲大阪相撲の興行。

大阪相撲は頭取に侠客が加入、稽古場もなく副業に精を出して相撲が二の次となるなど単独興行も厳しく弱体化が進んでいた。

東京相撲十両力士が大阪相撲の幕内より強く、合併興行としても厳しかった。

そこで考案したのが出身地別に対決させるもので同部屋でも関東vs関西に分けることで対決となる。大錦vs栃木山栃木山vs常ノ花などが実現するわけで開催前より期待された。

幕を開けた国分け大相撲はやはり初日より栃木山、大錦、常ノ花が場所を引っ張った。大坂方も宮城山や平錦が奮闘し、宮城山は4日目源氏山と熱戦の末寄り倒され、8日目常ノ花を土俵際まで追い込みながらはたき込みで敗れたが、称賛された。

8日目終わって栃木山7勝1休、大錦7勝1敗、常ノ花7勝1敗と3人に絞られた。

9日目の大錦vs栃木山は突っ張り合いの末栃木山が突き倒し。結局栃木山が9勝1休で優勝となった。団体戦関東軍が圧倒し優勝となった。

やはり東西の差はひどく互角に取ったのは平錦、宮城山、鳥海程度で大阪力士は勝越し2名という惨憺たる結果だった。

1923年には龍神事件が勃発し幕内の半数が廃業となりさらに弱体化し1927年の東京との合併につながっていった。