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明治時代からの相撲が好きです。

武蔵丸50歳

横綱武蔵丸が50歳。優勝12回は現協会年寄の中で最多。確かにそうだが影が薄い。

同時代の横綱も次々と協会を去り、武蔵丸の次は稀勢の里。この2人に対戦すらゼロ。

日本語能力も影響してそうだが監察委員が長く、理事はおろか役員待遇も怪しい。本人は枯淡としてる?

元々出世欲が低いか武蔵丸親方で5年が過ぎ、満了間際に振分を借株で襲名、年寄欄の最下位に記載された。元横綱では古今東西なかった事例では?

白鵬の土俵態度も早くから注文を付けていた。直言する解説、講評は気分がいいもの。

幕内力士を一人育成できれば協会内の地位も向上すると思うが、弟子運もよくなくどうなることか?

 

響龍死去

春場所13日目に頭から土俵に落下、半身不随状態で治療していた響龍が亡くなった。28歳。

師匠のコメントからも重症なのは伺えたが…本場所取組中の事故がもとで死亡に至ったのは明治以降は初だろう。

明治大正期は稽古中の怪我、巡業先で死亡が何例かあった。大ノ川、加勝山、真砂石、鹿島洋など。フグ中毒も2例ほどあった。

このところ相撲協会は不祥事続き、さらに興行もまともにできず赤字状態。

さらに現役力士の死亡という不名誉な事例まで起きてしまった。

これを機に土俵下へのマット設置といった対策を講ずるべきと思うが…

ベテラン力士

場所前琴勇輝が引退し平成生まれ初の年寄となったがまだまだ昭和の力士は健在。

関取の年齢順に

37歳 松鳳山

36歳 玉鷲 白鵬

35歳 隠岐の海 明瀬山 碧山 妙義龍といったところ。

体力が落ちたとはいえ老巧ぶりを発揮している力士も多い。明瀬山は全盛期か。

この1年でも勢力交代し上位陣は入れ替わったがどうなる?

栃錦

昭和35夏栃錦が引退。前場所史上初の14連勝同士で若乃花と対戦し敗れてのことであった。

地味に35初の優勝は初土俵から21年で最長記録だったはず(のちに旭天鵬が20年、これも夏場所のこと)。

この頃はベテランが多かった。

番付に定員がなかったのもあるが昭和17~20年頃の伸び盛りに応召されていたのも大きい?

35~36年にかけて年寄定年制、番付削減もあってか大正生まれの古参が一気に引退。主な力士

35夏 栃錦

35秋 信夫山

36初 若葉山 鬼竜川 鳴門海 玉ノ海

36春 時津山

36夏 国登

36九州 松登 潮錦 

37春 北の洋

 

千代の富士引退

ちょうど30年前平成3年夏、千代の富士引退。

4横綱2大関と豪華だったが、千代の富士は引退。北勝海大乃国と全休で形だけの番付。旭富士小錦と争い綱の威厳を守った。

小錦は14連勝で走ったが千秋楽に旭富士に本割決定戦と連敗し賜杯を逃す。

後世からみれば平成3九州、平成4春と優勝し小錦の全盛期だったか。外人差別事件で急降下したのは惜しい。

旭富士はこれが最後の花で翌場所8勝7敗、以後皆勤なく引退した。今年61歳。還暦土俵入りはいつできる?

稀勢の里も協会の人気面があったとはいえこれぐらい引き際がしっかりしていればよかった。

夏場所

鶴竜引退で白鵬がまた一人横綱に。

2012年に日馬富士昇進で解消されたが、その後の鶴竜稀勢の里と先んじて引退。後輩横綱に3人も引退されるのは千代の富士が惜しかったが初のこと。

照ノ富士が勢いに乗って横綱昇進なるか程度しか話題もない。

大関陣は照ノ富士が勢いに乗っているが膝の不安がつきまとう。貴景勝は好調の維持は難しく、朝の山はポカ負けも多い。正代は自分の相撲を見失っている。

新三役~新十両までゼロなのは55年ぶりらしい。昭和41夏は横綱大鵬柏戸栃ノ海佐田の山大関豊山北葉山の豪華番付。大鵬全盛期であったが後は佐田の山ぐらいで栃ノ海は絶不調、柏戸も乱調であった。豊山は先が見え北葉山はこの場所引退。

現在よりはマシという程度?

昔の高砂部屋

高砂部屋朝赤龍が当主に。マネージャーの一の矢は元朝潮引退で退職ともいわれたが、そのままいるようだ。一ノ矢といえば現役時から朝青龍も頭が上がらなかったというが昔から番付を追い抜いても顎で使うようなロートル力士がいた。

石井代蔵「相撲風雲児列伝」には大林、鎌田などの名が。

大林は神戸出身で貝ヶ崎から大林に。怪我で出世を諦め、コーベエのあだ名で高砂(元大関朝潮)のカバン持ちをしていた。

稽古場に親方然で陣取り番数を記録、よく稽古した力士をちゃんこ場へ連れて行きおにぎりを食わしてやったとか。のちの横綱東富士もその一人。

北を向くと(へそを曲げる)親方も困り果て、平謝りすることがあった。

昭和13年ごろに引退したらしい。

鎌田は男女ノ川の付け人だったが、関取然として何もせず関取2人がいるものだったらしい。

廻しを腹をへこませて履くのが得意で、巻いたまま掛けていた。

昭和11年春には大林は幕下11枚目、鎌田は昭和10年夏に三段目下位にあるが、11年春には序二段に陥落している。