押し相撲
近年は押し相撲全盛。だが押しに徹しているというよりその方が楽だからという印象強い。事実勝負がつくのも早く進行時間も早い印象。体重増加で四つになっての攻防に耐える程肺活量、体力全般がないのだろう。昔の若乃花は朝から昼までぶっ通しで稽古をしていたとか。昭和33年までの一門別巡業時代は稽古量は一人当たり数十番だったらしい。
押し相撲と言えば戦前の若葉山、玉碇と言った力士は四つには絶対ならないという気概で叩きで落ちても押し上げたとか。玉碇は70代の頃にはフサフサにもかかわらず現役当時はいつも額が薄くなっており、指も障害者並みに変形していた。押しが得意というにはそれほどでなくてはいけないだろう。
怪しい金勘定
昔から相撲界は丼勘定の世界。細かいことを考えず湯水のように入った金を豪快に使ってこそ一流力士の条件だともいわれる。明治大正でも太刀山・大錦・男女ノ川あたりはコメのキレが悪かった(=金払いが悪い)と後世語られることも。栃木山も大正時代に200円(現代なら2000万程?)をドンちゃん騒ぎ、栃錦も神棚に置き忘れた100万(現代なら1千万程か)を付け人を引き連れ一晩できれいさっぱりとかエピソードに事欠かない。読売大相撲49年7月号、タニマチのことから引用。
「昨年の相撲界の所得NO1は大鵬親方の2千2百万円だった。(中略)力士のトップ琴桜の1200万円は意外だった。(中略)派手な生活をしている北の富士、輪島クラスが姿を見せない点で首をひねった。」
琴桜は横綱昇進で実入りがあったのは納得できるが、他の力士がそれ以下はおかしい。生活面から見て琴桜と同等は確実。当時の計算では輪島は懸賞金だけで600万程。月給、給金をプラスすれば琴櫻を楽々超えるだろう。今であれば国税庁から突かれそうだ。
昭和20年夏場所の映像?
相撲協会は昭和14年に協会映画部が設立され取組や協会の催事の撮影をしているはず。権利を全て持っていたのは開始時に尽力した伊勢寅彦(通称伊勢寅)。読売大相撲37年3月号の相撲の町あれやこれや「相撲映画の主伊勢寅さん」から引用。
「昭和20年の五月場所は未公開でやった。備州山が優勝した時ですが、ライトも不自由な暗い中でカメラを回した。検査役は国民服、国技館の天井は機銃弾の穴だらけなのをファインダーを通して覚えています。」
戦前のフィルムは戦災で焼けてしまいなくなったと語っている。確かにそうで双葉山の69連勝などの映像は昭和50年代に米軍から寄贈されて日の目を見たはず。双葉山物語の映像は別の場所でごまかしていた。昭和20年夏場所の映像はこれまで見た事ない。相撲史を振り返る際にも昭和20年11月場所のみ。私見としては管理がまずく紛失か再生不能になったか。フィルムは10年以上前にも劣化が進行で問題になってるとチラと見た。
若年寄ランキング
① 藤ノ川 豪人 26歳1か月
② 若見山 幸平 26歳7か月
③ 大受 久晃 27歳2か月
④ 松前山 武士 27歳5か月
⑤ 宇多川 勝太郎 27歳7か月
⑥ 金剛 正裕 27歳8か月
⑦ 千代櫻 輝夫 28歳1か月
⑧ 栃富士 勝健 28歳3か月
⑨ 開隆山 勘之丞 28歳7か月
大乃国 康 28歳9か月
北勝海 信芳 28歳10か月
前乃臻 康夫 28歳11か月
定年制以後の若年年寄襲名ランキング。28歳までで以上の通りか。
停年まで全うしたのは3人、在職者が2人。ほぼ昭和期に全盛期であった力士だ。近年は20代の年寄襲名はほぼなく30前半も減っている。私見としては力士寿命の長期化のほかに中卒入門の減少も大きいか。
宇多川、開隆山は糖尿病で廃業、ともに40代で他界。開隆山は酒豪で知られ、これまた酒豪だった房錦と頻繁に飲んでいたが、房錦も糖尿病から廃業し57歳で他界。
近年の力士長寿命化は昭和期より健康に気を遣う力士が増えたのもある。昔は破滅型の力士も多かった。
力士の寿命
① 天城山猪太夫 (東関)明治39年~平成9年 91歳1か月
② 羽嶋山 昌乃武 (松ヶ根)大正11年~平成23年 89歳2か月
③ 浪の音 健蔵 (振分)明治15年~昭和42年 85歳8か月
④ 太刀若 峯五郎 (常盤山)明治36年~昭和63年 84歳10か月
⑤ 鳴門海 一行 (竹縄) 大正15年~平成22年 84歳5か月
停年退職した年寄の長寿ランキング。存命者では元安念山の87歳、元豊山が84歳、元清国も後1か月で80歳と近年は長寿力士も目立つ。天城山は唯一の90歳超え。幕内1場所ながら理事を昭和35年~43年まで4期務めた。恐らく十両止まりなら理事はなく木戸主任が限界だろう。1場所限りの入幕が効いた。引退後に出世した一人。