難しい年6場所勝ち越し
2021年、4場所終了時点で4場所とも勝ち越しているのは照ノ富士、御嶽海、明生の3人。幕内の年間全て勝ち越しが意外に難しい。6場所だった2019年は阿炎のみ。5場所もいない。
最多勝の朝乃山も2場所の負け越しがある。51勝の白鵬は2場所全休、御嶽海は優勝1回あるが2場所負け越し、49勝の遠藤も7勝が3回となかなか年間通じて安定するのは至難である。貴景勝は途中休場(3勝)と全休がありこれがなければ最多だったはず。
過去は大関では稀勢の里(06.11,12,13,15,16)が6回、大関北葉山(58,59,61,63,64)、魁皇(95,96,99,04,09)が5回、清国が4回等年間勝ち越しを達成している。稀勢の里は幕下~幕内の2004年にも達成しており、安定性で一段抜けた存在であった証拠か。
近年の力士は怪我が多く好不調激しいためか最高位大関の年間勝ち越しも減り、この20年の大関では1回が雅山(陥落後の06)、栃東(01)、琴奨菊(11)、豪栄道(14)、把瑠都2回、琴欧州・琴光喜が3回といった具合。高安、栃ノ心、貴景勝、朝の山、正代は1度もない。力士のレベル低下といえるか。
横綱の進退
裏正面読者のページより引用。「夏場所千秋楽から名古屋初日まで1か月にも足らぬから(中略)相撲勘を取り戻し体調を整えるには短すぎるから名古屋休場を決定したものと思われるが秋はどうか。休場療養は横綱ゆえに許されることであると思うが、その一面横綱ゆえに許されざるともいえる。金看板がいつまでも土俵を放棄するのはファンに対し顔向けができないことではないだろうか。(中略)けがが回復しないか不幸負け越すようなことがあればいさぎよく土俵生活を去るべきで残酷ともいえるこの儀をあえて提唱する。」
柏戸は春場所中の骨折で長期休場となった。当時24歳だった柏戸でも周囲の目は厳しいものがあっただろう。白鵬も休場が続き36歳という年齢。横綱の責務を果たさず権利のみ受ける状況。名古屋で不調となっても現役続行のような発言も見えとても金看板といえる地位ではない。
新弟子検査
生きている相撲史は元力士の落語家三遊亭円窓。これまた大きかった五代目円生の実弟。
インタビューで明治42年当時の新弟子検査の様子を語っている。かなりいい加減なもので廻し姿で国技館へ行き土俵上にいる天秤棒を担いだ力士が廻しを引っ掛けて目方を測った。年齢より数字が多ければ合格という大雑把なもので、立ち合いの親方が年齢、名前、部屋を聞いただけらしい。円窓は20歳で24貫。当時新弟子検査の受けた力士は80人程とか。
明治44年の新橋倶楽部事件の際にも梅の花の付け人だった関係で下っ端ながら親方に嘘をつき駆けつけ世話を焼いていたらしい。梅の花は大工上がりのため床をはがして土俵築きに活躍、鶴渡は八百屋出身で買い出しで活躍とか。明治の相撲史の裏面として貴重。
高砂部屋2
その後高見山→朝潮→前田山→朝潮→富士錦→朝潮→朝赤龍と続く。
アウトロー力士はどの時代もおり大関2代朝潮は大の博打好き、巡業でも構わず博打を打っていたとか。今ならば賭博で逮捕かも。
男女の川は横綱昇進後不成績を続け、一代年寄制度を創設し引き摺り下ろすように引退させられた。理事にもなったが協会に関心なく廃業。職を転々とし晩年不遇だった。
前田山は現役時代より粗暴な性格。ヤクザと喧嘩し腕に跡が残った。突っ張りを得意とし横綱昇進時も但し書きがつく程で結局休場からの野球観戦が元で強制引退。年寄としては育成能力を発揮した。
朝青龍は言うまでもなく不祥事のオンパレード。結局まともな引き際とならなかった。
朝乃山はこの系譜に仲間入りはないと思われたが処分力士の一人となる。