相撲古雑誌を読んで「大相撲画報」
アサヒスポーツ別冊大相撲展望昭和31年初場所号
「相撲部屋の系統と消長」より
各一門、部屋の歴史が簡潔にまとめられているが、所々今の資料になり興味深い点が。
玉垣系
明治初年の玉垣は財政面、番付の上げ下げまで勝手に行っていた。本場所が終わると住田川に船を浮かべ書記の根岸相手に杯を傾けながら、新番付の下案を作っていた。
雷
年寄連中が碁を打っても誰も大雷(梅ヶ谷)に黒石を持たせなかった。城(白)を明け渡しては困るから。
友綱系
初代友綱が権勢を奮った背景に一に板垣退助、二に国ノ音、三に細君千代があったから。
国ノ音(注:楯山→浅香山)は力士として大したことなかったが名うての利け者で日本橋花柳界に大親分として名を馳せ、日本橋の旦那で通った。