相撲批評クラブ ひげ庄之助

明治時代からの相撲が好きです。

高砂部屋の伝統

 12月、元朝潮の高砂の定年退職により元関脇朝赤龍が継承と決定。

 大方の予想では朝赤龍は実績があるが外国人なのがネックで元朝乃若が継承とみられていた。元朝汐も熟慮の末に決断したとのこと。

 元朝赤龍は39歳、定年まで25年程高砂となるが朝乃山が名跡変更して継承の可能性もあるか、65まで全うするか。

 高砂は名門中の名門、初代高砂浦五郎は相撲会所で独裁状態の玉垣(通称原庭玉垣)、伊勢ノ海の専横に抗議、明治六年改正組を組織し、関脇小柳らと脱走した。初め独自興行は盛況であったが次第に苦境に陥り、明治十一年東京相撲会所との調停が成立。これより筆頭は取締、筆脇→理事、中改め→勝負検査役と改称のきっかけに。この時加入した響矢以来138年関取を維持し続けていた。

 その後高砂は取締となり改革を断行したが、歴史は繰り返すもので、権力・独裁傾向が増し、それまであった高砂五郎治を高島に改称させる、横綱西ノ海の張出問題、勝負判定など問題噴出、明治二九年大戸平、関脇大砲らが団結して場所を休場、料亭中村楼に立て籠もる「中村楼事件」が勃発。これを機に高砂は失脚。

 以来高見山→朝汐→前田山→朝潮→富士錦→朝潮と続き横綱朝青龍朝潮、前田山らを輩出。

 皮肉にも朝青龍の騒動により、高砂朝潮)は理事も退任、指導力も疑問符が付き、総帥部屋としての地位も沈下してしまったか。

 何もかも対照的な朝赤龍が地味ながら関取の地位を守ってきたが二八年十一月後、とうとう幕下陥落。138年続く関取連続在位が途切れる。朝乃山が1場所置いて十両昇進したことから惜しいことであった。