himatom

明治時代からの相撲が好きです。

巡業はできる?

この2年近くコロナで巡業が中止状態。来年春巡業も中止決定で2年以上ゼロが確実である。それ以前は巡業の過密スケジュールから稽古不足・怪我につながってるのではとも言われていた。昭和33年までの一門別・部屋別の巡業の頃は稽古量も豊富だったが、大合併の「遠足」になってから稽古も減り負担が増えたらしい。48年前の読売大相撲48年10月号座談会から。

神風 前は百人足らずの一行で朝4時前から稽古して12時までやるんですから。嫌でも数は多くなる。

天龍 巡業は原則辞めることにしてどうしても行かなければならないところだけいくようにするというのがいいと思うんだけどな。

玉 何か社会的に意義のある興行をね、公共的なものだけするということにすればいい。社会的に奉仕する姿勢で。

天 それが財団法人の使命ですよ。

玉 そういう姿勢が全くない。とれるものは何でも取ろうというんだから。

天 本当の相撲を取らないで金をとろうというんだから。

大正昭和初期の相撲界を知る人物ばかりである。巡業は協会の利益上重要だろうが(事実2020年は50億円の赤字)、ならば本場所を減らしてもいいのでは。あるいは一門別や2班3班と分担するなども。戦前は連日花相撲や地方興行・準場所で現在以上に過酷だったが本場所は2場所だった。

 

玉の海死去から50年

10月11日で横綱玉の海の現役死亡から50年。横綱昇進後も一番稽古量が多かったらしい。ファンを大事にしファンからの贈り物やレターもすべて保存してあった。責任感も強くそのあまり寿命を縮めてしまったのか。部屋のショックも大きく師匠片男波(元関脇荒法師玉の海)は手形を返却してもらい、玉の富士、玉輝山といった若手も出世に影響が出たようだ。師匠片男波は16年後の昭和62年17回忌予定日の朝、心不全で倒れ急逝。定年間近の64歳だった。今は玉鷲のみ系譜を継ぐ。

元十両の年寄

現在元十両の年寄は大嶽(大竜)1人だけ。昭和中期まではそこそこいたが年6場所制の影響もあってか減る一方。大竜の襲名までも平元年の友綱(一錦)から9年空いていた。大嶽の後平16年に金親が先々代宮城野(廣川)の二女と結婚し、例外規定により突然宮城野部屋の師匠に。批判も大きかったか昇格も遅く6年後もようやく指導普及部主任であった。(無任所のようなものだろう)八百長テープ問題で結果的に交代、停年まで平年寄の処分が下った。そのごも部屋には顔を出していたようだが名跡問題を巡って離婚、平27年にはマネージャーへの暴行事件で逮捕され、解雇。平幕でも名跡取得が難しい現代で大嶽の4年後の定年後十両の年寄は出ないだろう。

 

 

若年寄

定年制実施以降の最年少の年寄は昭和47年11月引退の藤ノ川だろう。26歳1か月。在職38年10か月の最長記録もある。今の力士に比較すれば白鵬が平23年、高安は平28年、正代が平29年といった具合。まだまだ伸び盛りの年齢で今なら考えられぬ。2位が吉王山の26歳8か月。こちらは1年で廃業しその後スナックなどを経営というが閉業、日雇い労働に従事の噂もあった。よく調べると初場所後引退が多い。思うに理事選での投票権などが関係してると思うが。昨年中川部屋問題で部屋取り潰し、平年寄降格の中川(元万年十両幕内旭里)も陥落の星でもないが突如引退。最高位前頭14で年寄株取得も何かしら裏があるだろう。理事選協力の引き換えに引退後の厚遇保証もあるか。

栃木山死去

白鵬が全勝優勝→引退と異例の展開となったがその先例がいた。大正14年栃木山。その栃木山が62年前の10月3日67歳で死去した。大正14年春に10勝1分で優勝後、翌場所直前に引退。花のあるうちに引退、ハゲを気にしてともいわれるが、本人もその話題を後年にわたっても避けた為真意は測りかねる。一説には大正12年頃に稽古中に息の乱れから衰えを感じ引退を申し出たが慰留されていたとも。今回の白鵬名古屋場所中、秋場所前にも引退の意向を伝えたが「全勝してるのに~」「出場して決すべき」と許されなかったらしく事例が似る。

栃木山は引退後1年程欧米巡遊に出向き、昭和6年には大日本相撲選士権で現役の玉錦以下を蹴散らし難なく優勝、語り草となる。昭和7年より昭和34年の死去まで27年間相撲協会取締として最高幹部の座にあり、晩年は横綱栃錦の師匠としても重鎮で相撲ぶりと異なり穏やかな性格で多く慕われた。定年制により36年に退職が決定の中、昭和34年も秋場所初日には優勝掲額、賜杯返還式にも立ち合ったが、場所中に入院し程なく脳血栓で亡くなる。停年目前による心労もあったか。常ノ花の出羽海も同様に停年1年前の35年64歳で急死している。一説にはフグ中毒というが。ともかく進退の潔さ、完成された型は語られるべきだろう。

白鵬横綱大関戦238勝

白鵬が引退。17年の長きにわたり幕内を維持。優勝45回という数字は年3度の優勝を15年続けることになる。初優勝が15年前でありその翌場所も13勝、平19年に横綱となったが15年全盛期を保ったとみてもいいだろう。驚異的なのは横綱大関に対して238勝していること(決定戦・不戦勝除く)。計算違いがあるかもしれないが230勝以上は確実。

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白鵬大関初挑戦は平16.92日目魁皇戦。この場所で1横綱3大関と対戦し武双山に初勝利している。翌場所朝青龍に勝って初金星。武双山には2連勝、千代大海にも17.5に3勝2敗と勝ち越すなど早くから大関と互角に戦い、18人の横綱大関と対戦しほとんど勝ち越している。このうち貴景勝、正代とは休場が多く大関としては1度だけ、朝乃山とは対戦ゼロであった。平17.9~平27.7まで毎場所大関以上と対戦を続けたのも快記録。対戦時格上であった横綱朝青龍には13勝12敗(最後7連勝)、日馬富士に36勝21敗(横綱以降14勝)、大関魁皇に26勝 や稀勢の里に44勝(大関以降22勝)琴奨菊に56勝(大関以降24勝)など両力士が長く上位に在位して達成された記録も多い。

大鵬大関戦129勝、貴乃花横綱大関戦87勝を大きく引き離すもので、優勝や勝利数のみ注目されるが意外なところにも記録がある。

大関陣の体たらく

白鵬も正式引退が発表されず引退か否かも怪しくなっている。業績、問題行動はともかく横綱の引退が全然話題にならないのは寂しいもの。「小室~」や「嵐」、「総裁選」に話題が行ってしまう。優勝45回といえども知名度は全盛期の貴乃花の半分も行かないか。

白鵬が消えれば横綱1人、大関2人となるがその下に横綱候補どころか大関候補も現れない。照ノ富士と正代は30でもうベテランの域。大関候補に豊昇竜や霧馬山もあがるが三役もまだまだで時期尚早。毎場所照ノ富士vsその他大勢といった様相で番付の意味をなしていない。

8勝→全休→8勝→全休→8勝の繰り返しで大関を維持できるシステムこそ改革の必要あり。事実秋場所の2大関は8勝3敗、8勝4敗と勝ち越した後4連敗、3連敗の情けなさ。

勝ち越しで済む地位に安住することのみ目的となっている。3場所の通算成績や年間成績で陥落や角番とするなど横綱昇進できる大関を育成することが急務だろう。